| 和暦 |
西暦 |
事項 |
| 徳治 2 |
1307 |
3月1日、後宇多上皇、勅願に准じて善通寺五重塔を再建すべきことを隨心院門跡に伝える。〈善通寺文書〉 |
| 元享 元 |
1321 |
この年、後宇多法皇の遺告により、善通寺・曼荼羅寺および誕生院の本寺を隨心院より大覚寺に改める。〈大覚寺文書〉 |
| 元徳 3 |
1331 |
7月28日、中興の祖、宥範、善通寺東北院に居住す。〈贈僧正宥範発心求法縁起〉 |
| 建武 3 |
1336 |
7月28日、中興の祖、宥範、善通寺東北院に居住す。〈贈僧正宥範発心求法縁起〉 |
| 建武 4 |
1337 |
6月14日、神真誡、某所一分地頭職二段を善通寺誕生院に寄進する。〈善通寺文書〉 |
| 暦応年間 |
1338〜 |
この頃、誕生院宥範、五重塔などの諸堂を再興する。〈贈僧正宥範発心求法縁起〉 |
| 暦応 4 |
1341 |
4月4日、北朝の文殿、隨心院と大覚寺の相論を裁定し、大覚寺末寺となっていた善通寺を隨心院に返すことを注進する。〈善通寺文書〉
5月28日、光厳上皇、隨心院の善通寺管領を認める。〈善通寺文書〉
7月20日、幕府の認可により、宥範僧正が初代誕生院住職に任命される。〈善通寺文書〉
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| 康永 3 |
1344 |
12月10日、足利尊氏利生塔建立。宥範僧正が供養導師をつとめる。〈贈僧正宥範発心求法縁起〉 |
| 貞治 6 |
1367 |
7月25日、守護細川頼之の弟ョ元、寺領および免田の押領停止、守護使入部停止、境内殺生禁断などを定めた興行条々を発す。〈善通寺文書〉 |
| 永和 4 |
1378 |
9月2日、塔婆領として鵜足郡井上郷公文職が寄進される。〈善通寺文書〉 |
| 明徳 3 |
1392 |
この年、宥源、隨心院から善通寺奉行ならびに弘田郷所務職に任じられ、一円保と弘田郷の請負代官となる。〈善通寺文書〉 |
| 永禄 元 |
1558 |
10月20日、三好実休の兵火により、伽藍焼失。〈讃岐国大日記〉 |
| 天正16 |
1588 |
正月22日、生駒親正、二十八石を善通寺誕生院に寄進する。〈善通寺文書〉
7月18日、生駒一正、三十五石を善通寺誕生院に寄進する。〈善通寺文書〉
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